※※※市村久子さんに聞く※※※※※
『イギリス児童文学の旅』
報告・川勝 道子さん(
ジルベルトの会
『風のたより』96,3号から)
旅にはいろいろなかたちがある。
愛を深める旅、家族の絆を確かめる旅、青春を謳歌する旅、未知のものを探求する旅、何かに巡り合うための旅、等々。旅は古来から多くの芸行家や思想家を育ててきた。幼年時代から、ヨーロッパ遍歴の大旅行によって比類ない音楽を生み出したモーツアルトに「旅をしない者は、(少なくとも芸術や学間にたずさわる人々の場合は)実にあわれむべき存在です。・・・」という言葉がある。私たちの日常に新風を吹き込み、心にエネルギーを補拾してくれるものであることはまちがいないようだ。さて、ジルベルトの会では1月の例会で新春第l号のお客様として、児童書「おおきなおおきなおいも」などで幼い子どもたちの心をとらえ、たくさんのお母さんたちから支持されている市村久子さんをお迎えし、話をうかがった。
●吟味された旅の始まり
「旅は道連れとはいうものの、旅の心をかき乱さない道連れを見つけ出すのも、偶然出会うのも非常に難しい」と、ある旅のベテランが書いている。実際、その旅が楽しいものになるか否かは仲間次第。市村先生も充実した旅の三要素として「いい季節、いいテーマ、いい仲間」を掲げておられた。今回のイギリスへの旅は1994年7月のこと。読書仲間とつれだって、児童文学の舞台となった土地を訪ねるという、まさにこの三要素が揃った最高の旅だったとか。バラとラベンダーに囲まれた、ナショナルトラスト第l号のアルフリストン村の牧師館から始まった旅は、宿も、そしてお茶を飲む店も吟味して、児童文学作品や作者ゆかりのところを指定するなど、市村さんがたのこの旅への思い入れの強さがこちらにも伝わってきた。
●想像する楽しさ
市村さんの穏やかな声にいざなわれて、聴いている私たちもイギリスの村々や丘陵を旅しているかのような思いにかられた。そのゆったりした口調のなかに、今回の旅が市村さんにとって長年の夢であり、周到な準備のもとに行われたものであったことが、お話の端ばしからうかがえた。そして訪れた土地土地で繰り広げられる児童文学作品のなかの場面が鮮やかによみがえり楽しさが伝わってくるとともに、イギリス児童文学を担ってきた女流作家たちを背後から力づけてきた自然をも、期せずして味わうことになった。
●ファージョンの作品の舞台に
愛らしい風情の村、アルフリストンから始まり、ドーバー海峡に面した絶壁の美しいセプン・シスターズの海岸、このサセックス地方の風景と、素朴な生活こそ、エリナー・ファージョンが作品を生み出す母体となったところ。人魚の金のすかし彫りの看板からファージョンがヒントを得て作品を書いたというホテル、マーメイドイン。現在もりっばに営業しているとのこと。その由緒あるホテル(1420年に再建されたという古い歴史がある)で、市村さんはエリザベス1世が泊まったという部屋の天蓋つきの大きなベッドに休むことになった。興奮のあまり一睡もできずに夜を過したお話は印象的だった。本に囲まれ、読書が最大の楽しみだった、子どものころのファージョン。彼女を児童文学作家として開花させたのは、戦争中ロンドンからうつり住んだこのサセックス地方の美しい風物だった。その後、彼女は『ムギと王様』『ヒナギク野のマーティシ・ビピン』や『リンゴ畑のマーティン・ピピン』、『銀色のシギ』などを発表していく。『ムギと王様』は1956年に、その年イギリスで出版されたもっともすぐれた児童文学作品にあたえられるカーネギー賞を受賞すると同時に、国際的な児童文学賞であるハンス・クリスチャン・アンデルセン賞の第1回目の受賞作号ともなったのだった。婚約者の戦死という大きな悲しみのなかでファージョンが吠めた、マウント・ケーバンの景色から「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」(「ヒナギク野のマーティン・ピピン」の一挿話)が生まれたのだった。市村さんは山というより丘のようなそのマウント・ケーバンを旅窓から眺め、「ファージョンをかりたてたサセックスの風景のなかに物語の舞台を実際に自分の目で見るうれしさは格別ですね」と話されていた。
●サトクリフ『運命の騎士』のアランデル城
『ともしびをかかげて』『運命の騎士』などの著書で知られる歴史小説家、ローズマリ・サトクリフのファンは日本の少年少女の間にも多いと思う。市村さんは、戦後すぐご両親が次々に早世され、図らずも孤児となってしまった体験などから、サトクリフの『運命の騎士』に登場する犬飼いの孤児ランダルに特別な親近感をおぼえるとおっしやって、この物語の舞台になったアランデル城の見学にはことのほか思い入れが強かったとのことである。「物語に出てくる場面がこの城のどこかということを、読書仲間と話しながら捜すのはどんなに楽しいことだったか」と目を輝かしておられた。かつて石井桃子氏は『児童文学の旅』という著書のなかで、1972年にストーリーテリングの名手、コルウェル女史とともにサトクリフを訪ねたときのことを、次のように書いていた。サトクリフが障害を持っている女性だとコルウェルさんから聞かされていたが、「しかし、いま、そのほとんど手の先しか動かないひとを見て、胸をつかれた。」2歳のときから足が不自由で車椅子を使ったという障害にうち勝って「イギリスの歴史のことならサトクリフに聞け」といわれた膨大な知識を駆使して、精力的に仕事をこなし、1959年には『ともしびをかかげて』でカーネギー賞を受けたサトクリフの話を、市村さんからあらためてうかがい、感銘を受けた。
●ホビットの村のようなパブで
「今回の旅仲間のおひとりに、ガンを告知されたかたがいらして…」と少し沈痛なおももちで市村さんが話し出された。結局仲間のひとりの「車椅子に乗せても彼女を連れていってあげたい」というひとことで皆の気持がぴとつになり、旅仲間として彼女を迎えられたとのこと。彼女のたっての希望はトールキンゆかりの地を見学したいということだった。しかしトールキンの作品の舞台は架空の地。そこで彼が奉職していたオックスフォードのマートン・カレッジの見学となった。古い伝統が息づく静謐なカレッジを巡った後、トールキンがC・Sルイスやオックスフォードの教授仲間と作っていた、創作やファンタジーなど彼らの作品を発表しあう“インクリングス”という会の会場だったイーグル&チャイルドというパプを訪ねた。「ホビットの冒険」に出てくるような、奥行きのある入りくんだパプのなかの様子に旅仲間も大喜ぴ。トールキンたちがいつも使っていた部屋が意外に質素なせまい部屋だったこと、そのパプで食べたホットアップルパイの美味しかったことが印象に残ったそうだ。
●「妖精デイックのたたかい」の舞台、コッツウォルズ地方へ
イギリスの古語で「羊小屋のある丘」という意味がある美しい田園地帯、コッッウォルズ。そのなかのウィドフォードにキャサリン・プリッグスの著書『妖精ディックのたたかい』に書かれているディックの館がある。館は外からしか見学できなかったそうだが、コッツウォルズ地方の美しさと、川のせせらぎののどかさなどについてうかがっていると、イギリスの田舎の豊かな自然のなかで幼年期を過ごした作家が多いことに気づかされる。まさに自然の大いなる恵みこそ、イギリス児童文学作家を生みだす揺籃ではないかと恩ったことであった。
●ポターとランサムの作品を追って湖水地方へ
これほど世界中に知られているイギリス児童文学作家があるかしらと思われる、ビアトリクス・ポター。あの愛らしいピーター・ラビットでおなじみのポターの作品を追って、グロスター、ホークスヘッド(ポターミュージアムがある)を経て、ウィンダミアへ。そこではアーサー・ランサムのミュージアムに「ツバメ号とアマゾン号」に出てくるアマゾン号のモデルの船が飾ってあったとのこと。ウィンダミア湖が陽にきらきらと輝いているなか、子どもたちがたくさんの帆船を操っているのを見て、市村さんは「日本の子どもたちは勉強に追われ、夏でも遊べない。子どもが子どもの時間を持てないでいる。そしてツバメ号とアマゾン号」というすばらしい本があるのに、おそらく読む時間もないのではないでしょうか」と語られ、日本の子どもたちの、モノの豊かさの裏側にある“不幸と貧しさ”を遠くイギリスの地で考えてしまった、というお話には胸がいたくなる思いがした。
●ポターゆかりの地、ニア・ソーリー
市村さんがニア・ソーリーを訪ねるのは今回で2度目とのこと。以前1991年に吉田新一氏(翻訳家・児童文学研究家)と一緒の旅でポターが愛したヒルトップという館に行かれたとき、居間には、暖炉にとろとろと火が燃えていて、その前には朝露を踏んだかのような皮靴が置いてあったという。まるでむこうのドアから、手織りのざっくりとした長い裾のスカートをはいたポターが今にも現れそうな雰囲気の館であったそうだ。ところが今回出かけてみると、人が列をなして押しかけている。それも日本人が多い。「どうぞポターの作品を全部よく読んだ人だけが出かけてほしい。観光名所だからというだけで訪ねてほしくないですね」と市村さんは熱弁をふるわれた。
●アトリーの『時の旅人』に会いにダービシャーへ
アリソン・アトリーというとグレイ・ラビットや、チム・ラビット、サム・ビッグ、こぎつねルーファスなどを主人公にした楽しい動物物語の作者として広く知られている。そのアトリーの唯一の青少年向けの本、『時の旅人』は市村さんのお気に入り。その舞台となったダービシャー州クロムフォード村のサッカーズ農園(バビントンファーム)も訪ねられた。暗い森に囲まれた丘の頂上に建つ石造りの農家、そこで昔から伝えられてきたしきたり通りに生活していた父母に育てられたアトリ一。彼女はマンチェスター大学で物理を学ぴ、ロンドンの女子中学校の教職についた後、ジェイムズ・アトリーと結婚した。しかしこの結婚生活はジェイムズの自殺という悲劇となって終った。「そんな、大人になってからの苦しみや悲しみのあと、わきだす泉のように彼女のなかによみがえってきたのは、幼い日に出会った自然の中での思い出であった。」と「グレイ・ラビットのおはなし」のあとがきに石井桃子氏が書いておられた。クロムフォード村の美しい自然が、物を書いてゆきたいというアトリーを後押ししてくれたということだろうか。そんな森や草原の雰囲気を市村さんも肌で感じとられてきたご様子だった。『時の旅人』の翻訳、出版にかかわる輿味深い裏話もお聞きして、改めて、翻訳のむずかしさを知らされたと同時に、石井桃子氏の「翻訳はただ文字を訳すのではなく、物語のひびきや輝きをとらえた訳でなければ」ということばが思いおこされた。
●人生をキルトに、縫い込んで
「この旅でうれしかったことのひとつは、旅の導火線ともなったルーシー・M・ボストン夫人の館を訪ねたいという思いが叶えられたことです」と市村さんは話された。ボストン夫人といえば、『グリーン・ノウの子どもたち』などのグリーン・ノウ物語の作者として有名である。かつて幼稚園に勤務していた市村さんがこのグリーン・ノウ物語に出会ったとき、「明日休んでしまいたい!」と思ったほど読みふけったという。市村さんがことに心ひかれたのは、中国難民のみなしごピンが活躍する『グリーン・ノウのお客さま』。これは1961年に、カーネギー賞を受賞した作品でもある。この物語の舞台となるグリーン・ノウの屋敷は、ケンプリッジの北西、へミングフォード・グレイにあるマナーハウスをモデルとしている。それは1120年に建てられた、イギリスでいちばん古い住居のひとつで、1メートルもの厚さの石の壁でできているとのこと。ボストン夫人は、1990年に97歳で亡くなるまでそこに住み、家を守り続けていた。バラをはじめとして、たくさんの植物に囲まれているこの屋敷を夫人は心から愛し、魂の拠りどころとしていたという。そして現在も、ボストン夫人の子息でグリーン・ノウ物語の挿絵を描いたピーター・ボストン氏が家族とともにこの館を引き締いで懸命に守っているそうだ。今回館を訪間された市村さんは、ピーター・ボストン氏の奥様、ダイアナ夫人に2階のゲストルームへ案内され、ベッドをおおうボストン夫人の遺作のパッチワーク・キルトを見せていただいた。そして光栄にもダイアナ夫人から白手袋を渡され、ベッドの上に何枚も重ねてあるボストン夫人のキルトを見学者たちに見せる助手を仰せつかった。夫人の遺作に直接触れることができたという興奮とともに、芸街作品としてではない、愛する人たちのために心を込めて作った生活のなかの用具としてのキルトの温かみが伝わってきたと市村さんは話された。ご自身パッチワークの熱心な製作者でもある市村さんにとって、ますますボストン夫人の魅カが深まったことだろう。明るく楽しい夢が一杯のグリーン・ノウ物語には、ボストン夫人の子どもに対する深い愛情とともに正しく生きることのつらさ、楽しさ、美しさをも物語っている。きっと夫人のキルトのひと針ひと針にも彼女の生きることへの真剣な思いが縫い込まれていったのではないかと細密なキルト模様を想像しながら考えたことであった。
●時空を共有した庭園
「今回の旅のハイライトはフィリパ・ピアス家の訪間でした」と市村さん。サトクリフの言葉を引用して「これまでの人生のなかで過ごしたさまざまな午後のなかで、もう一度生き直すことが許されるなら、私が選ぶのは、この午後をおいてほかにはありません(『思い出の青い丘」)」と、ピアスさんとの会談がいかに至福のときであったかを話していらした。
以前、岩波書店のPR誌『図書』(1993年3月号)にいぬいとみこ氏(児童文学作家)が“文学と旅”というエッセーに、作家の瀬田貞二氏と一緒にピアス家を訪間したおりの感激を書いていた。市村さんも「ピアスさんはパーティーがとてもお好きで」とピアスさんの飾らないおおらかなお人柄を紹介してくださった。かつて来日されたとき、はこ酒が大変気に入られたことをピアスさんと親しい、翻訳家の清水真砂子氏からうかがい、日本からのおみやげに「はこ酒とはいかなかったのですが、美しい陶器に人った日本酒を持っていきました」との市村さんのお話に思わずほほえんでしまった。ピアスさんと日本酒!このエピソードから、いまやイギリスの児童文学界の長老といわれるピアスさんがいっきに身近な人に感じられた。ピアスさんといえば、『トムは真夜中の庭で』が有名である。この本は1958年にカーネギー賞を受賞した。そのほかにも『ハヤ号セイ川をゆく』『まぼろしの小さい犬』など高く評価されている作品がある。彼女の物語の構成の緻密さは誰もが認めるところであるが、彼女がケンプリッジ大学の優等卒業生名簿に名を連ねている女性だと聞くと、なるほどと思わされる。市村さんは旅仲間とともにイーリーの町の大聖堂のすばらしいステンドグラスや塔を眺め、ピアスさんご本人の案内で、子ども時代を過ごされた家の庭を見学した。『トムは真夜中の庭で』の物語に出てくる庭園である。イチイの木やツゲのかん木や草花などが、物語そのままに再現されているかのような庭の景色を眺めながら、ピアスさんとお茶をご一緒していたときに味わった不思議な気持を、市村さんはこんな風に話してくださった。「自分が夢中で読んできた物語の作者がこうして目の前にいるという感激はもちろんでしたが、ビアスさんと握手をしたとき、その手が一瞬バーソロミューおばあさんの手のような錯覚に陥り、まるでトムとバーソロミューおばあさんが抱き合ったときの気持が伝わってきて、物語のなかの主人公たちが私にとってなつかしい存在として目の前に現れてくるかのような気持でした。ちょうどトムやハティーが時間のへだたりを超えて親しくなり、ついに互いにかけがえのない存在になっていったように…」この市村さんの言葉にこめられたのは、物語の故郷への交歓の旅がもたらしてくれた恵みだったのかもしれない。物語の舞台となった庭園での時空を共有したひとときに、私たちもしばし、いざなわれたことであった。
●自然の恵みが発酵させたもの
市村さんのイギリスの旅のお話のなかで、「本当に美しい村で、またこの村にももう一度来なければと皆で話し合ったんですよ」という言葉を何度お聞きしたことだろう。イギリスの田園地帯の美しさ、静けさは「人問が本当にここに住んでいるのかしら」と疑いたくなる程とか。そんな自然にどっぶりと浸かって、ポターも、エイキンも、アトリーも幼い日を過ごしていたのかと恩うと、あらためて彼女たちの作家精神を育てたイギリスの自然にひかれる。
●物語から生きる力をもらって
もうひとつ、市村さんのお話で印象に残ったことは、アランデル城を訪ねたおりの、物語の舞台に身を置く幸せ、時代時代にどんな人がこの城に住んで、どんなドラマが展開されたのだろうと想像する楽しさについて語っておられたことだ。これをお聞きしたとき、松居直氏(福音館書店会長)の話を思い出した。松居氏は青年期にトルストイに心酔し、ぜひトルストイの住んだ所、ヤースナヤポリャーナに行ってみたいと夢見ていたという。しかしそれがやっと実現したのは60歳のとき。彼はとうとうやって来たヤースナヤポリャーナのトルストイの家を見て感激した。続いてトルストイの墓のある森を訪ねた。そのとき「『戦争と平和』の主人公たちが私の中にありありと見えてきたのです。アンドレイとかニコライとかピエールとか、ナターシャとかソーニャとかいう、本当に懐かしい人たちが、そこを歩いているのではないかという気がしました。その時に私は生きていて良かったと思ったのです。読書というのはこういうことを体験することだったのかということがとても良くわかりました。」と話されたのである。おふたりの話を心のなかで何度も反すうしているうちに、物語を読む、とは物語の人物を私自身のなかによみがえらせ、再現し、その息づかいを感じとることによって、時間と空間を超えても色あせない“もうひとつの現実”を生きる営みなのではないかと思われてきた。「旅の間に想い起こすのは、これまで見たこと、聞いたこと、読んだことが、その時々の風に乗って、幻の同伴者として旅人の前にあらわれる」と、ある人が語っていた。春の風に乗って私もイギリスへの旅にもう一度出かけてみたくなった。